終戦の日によせて。

今日は終戦祈念日。
私の祖父ふたりも戦争で中国に渡りました。
戦友だったふたりの祖父。
最近見付けたアルバムには、祖父の兵隊姿だけでなく、戦友や上官の写真もたくさん貼ってありました。

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祖父が戦地に行ってる間の家族写真も。
幼い頃に見た記憶がある、祖父母の婚礼写真もありました。
無事に帰ってきたからこその光景。私が生まれたのも、この日があったからこそ。

よく戦友の集まりに連れていかれ、アルバムには突如として私も写ったのもありましたが、戦争の話を聞いた記憶は殆どありませんでした。
話したくはなかったのでしょう。
戦後、数回中国に旅行に行っていましたが、たぶん亡くなった戦友を弔う気持ちからだったのでしょう。

戦友会で作った手記の中に、祖父が書いた文章も幾つかありました。
この文章と、お葬式で戦友のひとりが読んで下さった弔辞が、私が知る戦争体験。
昔、何かの臭いを「戦争の時の遺体の臭いだ」と言った祖父に、どきっとした記憶。
8月15日に終戦を中国で迎え、半年間港までひたすら歩き続けた思いも、本人から語られることはありませんでした。
戦争が終わってから、引き上げていく途中で命を落とした人もたくさんいたそうです。
母方の祖父の家族もそう。

日本に無事に帰って来て始めて、終戦を感じたのかもしれません。

つい数日前に知ったことがあります。
愛知には終戦間近に、濃尾平野と三河に巨大地震が二度襲いました。
しかし、甚大な被害も戦争の陰で報道は規制されていたんだそうです。

日本に無事帰ってきた祖父たちを待っていたのは、「愛知は全滅した。建物なんてみんな潰れた」という噂だったそうです。
せっかく日本に生きて帰ってきたのに、家族は…と。恐らく戦後の混乱で港からも大変な思いをして、地震と戦争の被害を目の当たりにしたのかもしれません。
粗末ながら我が家が建ってるのを見付けた時はほっとした、と父が話していました。

そうやって家族の戦争が終わっていったんだな、と当たり前のことなのに、考えたこともありませんでした。
名古屋から親類を頼って近くに疎開していた祖母と結婚して、父が生まれ。
名古屋の会社祖母と知り合い、戦友に誘われて知多から岐阜に越して事業を始めて、母が生まれ。
ある意味戦争が両親を縁付けて私が生まれました。

生きていれば大変なことはたくさんあるけど、災害とは違い戦争は止められる。
原爆も原発も、自然に発生した訳じゃない。

人間の賢さ、謙虚さ、優しさを信じたい祈念日です。
戦後の奇跡の復興を成し遂げた、人の力も信じたい。
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Commented by shoichi at 2011-08-15 22:32 x
オレが子供の頃は未だ戦争の面影があちこちに色濃く残っていたね。街頭でお金を施してもらおうとする傷痍軍人(偽者も多かったみたいだけど)、保育園で毎日飲んでいた米軍放出の脱脂粉乳(それを入れた英語表記のドラムカンが園の建物の中に置いてあった)、戦後の昭和天皇の行幸のお召し列車へのバンザイ(日の丸を振りながら)、等々。今思えば生活水準は今とは較べものにならないくらい低く(オレは雨漏りのする6畳一間の家に家族4人で暮らしていた)、皆その日を生きていくのに精一杯だった。

どんな理由があるにせよ戦争は只の殺し合い。もう二度と戦争による犠牲者を出さないことが、先の戦争で亡くなられた方々に対する責任だね。
Commented by gogolotta at 2011-08-22 14:46
☆shoお父さん
そうですね。争いは悲しいことしか生まないもの。平和な時代に生きていることを感謝しつつ、次の世代に継いでいきたいです。
by gogolotta | 2011-08-15 21:04 | 家族のこと | Comments(2)

つれづれに日々のことなど。たま~にですが。


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